少女、カールツァイス 



 それのことは、ただ写真機とだけ呼んでいた。
 固有名詞ではないが、特別不自由はなかった。我が家では写真機と言えばそれ一つだったので区別する必要などなかったのだ。

 西洋人形の顔立ちと、波打つ金の髪には白いリボン。同じく白の襟の付いた、紺びろうどのワンピース。
 うちにある写真機がそういう少女型だったのは、そちらの方が娘が喜ぶだろうと購入者の父が判断したからだった。
 生まれたばかりの赤ん坊にそんなものを与えて有り難がるとも思えないのだが、初めての我が子の誕生に浮かれてしでかした事だと考えれば、呆れはしても腹は立たない。ただ、自分が親になったらもう少し冷静な親であろうと思うばかりだ。
 ともかくそういうわけで、その写真機は物心つく前から私にとって身近なものだった。

 一番古い記憶は、動物園のキリンの檻の前で写真を撮ってもらった時のことだろう。
 私にとっては生まれて初めての動物園で、まだ幼稚園にも上がる前だったはずだ。断片的にだが、キリンの全身を写すために写真機が随分遠くまで下がって行ったのを覚えている。
 写真機があんまり遠くへ行くので幼かった私が後を追ってしまい、それをフレームに入れるために写真機がまた下がる……という悪循環で、連れ戻して撮影が終わるまでにひどく手間がかかったらしい。
 大きくなった私に、母は苦笑交じりで何度もそう語った。

 動物園に限らず、写真機は家族の行事には必ず同行していた。
 家族の不意の表情を写したスナップもよく撮れていたが、私は記念撮影をしてもらうのが好きだった。
『こちらを見て下さい』
『もう少し寄って下さい』
『笑って下さい』
 写真機が話せるのはその3つだけで、記念撮影でもしない限り声を聴く機会はあまりなかった。
 声といってもいわゆる多少質の良い合成音声に過ぎないのだが、今思えば私は写真機が話すのが面白くて記念撮影をせがんでいたのかも知れない。

 これも小さい頃の話だ。家族のアルバムを見ていた時に、どうして写真機の写っている写真が一枚もないのと言って両親を困らせたことがある。
 当然だ。その写真を撮っているのは写真機自身なのだから、写せるはずがない。
 だがその理屈が理解できなかった私は、写真機の写真がないことをひどく不満に思った。そうして幼稚園で貰った画用紙とクレヨンを持ち出し、目の前に写真機を座らせて絵を描いた。
 写真機だけが座っている絵のほかにも、色々な絵を描いた。
 動物園に行った時の絵。幼稚園の入園式の絵。海へ行った時の絵。勿論そこには家族や私自身の姿も描き加えた。
 所詮幼児の描いたものだから到底写実的とは呼べない代物だったが、私自身はとても満足だった。
 あの絵のうちの幾枚かは、多分今でもどこかにしまってあるはずだ。どこへやったかは思い出せないけれど。

 それから二十年近くものあいだ写真機は我が家の一員だったが、今年に入ってから特に調子が悪くなってきた。
 今までもピントが合わなくなったりシャッターが下りなかったことは稀にあったが、どうにか騙し騙し使っていた。けれど、それもそろそろ限界らしい。
 今月になって、写真機は本格的に故障してしまったようだ。
 深夜に突然『笑って下さい』と連呼し始めた時は、何事が起こったのかと家族中が飛び起きた。その時は充電池を抜いてどうにか静かになったが、今度は充電池を戻しても起動したりしなかったりが続いた。
 一応修理に出そうかという相談はしたが、専門店によると修理するにも古い部品は入手困難で、買い換えた方がずっと手っ取り早くて安く済むらしい。
 いざという時に写せないと困るという理由で、それからすぐに父が新しい写真機を買って来た。
 新しい写真機は男性型の最新モデルで、古い少女型よりも背が高く、撮影範囲がずっと広くなっている。写真自体の写りがきれいなのは勿論のこと、被写体の表情を読み取ってその場に適した言葉をかけられる機能まで付いていた。
 これさえあれば家族の写真は充分すぎるほど事足りる。古い写真機はもはや完全に不要な存在になっていた。
 もう随分長く使っているものね、と母は言った。

 ある日学校から帰ると、ちょうど廃品回収員が我が家の古い写真機を引き取って行くところだった。
 驚いた私は駆け寄って引き止めた。どうしてそれを持って行ってしまうの、と。
 騒ぎを聞きつけて母がやってきた。まさか私が嫌がるとは思っても見なかったらしい。
 困惑する回収員と私の間に割って入ると、とりなすように声をかけた。
「もう壊れて随分経つのよ。家にあっても仕方がないでしょう?」
「でも、とても大事な写真機なの」
「それはそうよ、思い出の写真機ですもの。残念だわ」
 そうじゃない。私にとっては『残念』で済ませられない問題だ。
「そうじゃなくて――」
『こちらを見て下さい』
 不意に、懐かしい声が聞こえた。
 私は慌てて振り返る。
『こちらを見て下さい』
 壊れた古い写真機の声だった。
 もうずっと充電なんかしていないはずの写真機が、はっきりと声を出した。
『もう少し寄って下さい』
 勿論これは写真機自身の言葉ではない。被写体がフレームに入りきっていないことを知らせるための、あらかじめ決められている台詞だ
 それなのに、私は言われるままに写真機へと歩み寄っていた。
『笑って下さい』
 無理だ。
『笑って下さい』
 こんな時に笑えない。
 大体、写真機のアナウンスに本気で反応するなんて、まるでぬいぐるみとお話しする小さな子のようでおかしいことで――
『――笑って下さい』
 私は笑った。
 笑ったと言っても、どうにか口角を吊り上げただけのことだ。泣きそうなのを無理に我慢したので酷く引きつっていただろう。
 だが、それきり写真機は何も言わなくなった。ただの一言も。
 写真機はその時、本当に完全に『壊れきった』のだった。

 それから壊れた写真機がどうなったかというと、今も私の手元にある。(おかげで私はずっと後まで『廃品回収員の前で駄々をこねた子』扱いをされたけれど、それは完全に余談に過ぎない。)
 ただ完全に壊れたとは言え、その時写真機に残っていたフィルムは無事だった。
 現像したフィルムはピンボケだったり光が入っていたりと酷いものばかりだったが、時折はちゃんと被写体が分かるものもあった。
 それらはすべて私の写っているもので、何故だか分からないけどそのことに少しだけ涙が出た。






08/03/01


※補足
「少女の形をした写真機」という点で、古屋兎丸氏の「ショートカッツ」内の一篇「レイカ」が発想の元になっています。
内容や設定に関しては全く無関係ですので、この話がイマイチだったらそれは完全にこちらの責任です。万が一よいと思っていただければ、やっぱうさまる先生は天才だな!っていう。

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